一は全。全は一。

佐藤 立樹
佐藤 立樹
2023.09.04

僕が一番好きな漫画は『鋼の錬金術師』なんですが、作中でこの言葉が出てきます。

一は全。全は一。

主人公のエドとアルが幼少期に、師匠に「この言葉の意味を見つけてこい。それがわかるまで帰ってくるな」と言われ、山に置き去りにされてしまうのですが。。

この言葉の意味がなんとなくわかったかも。

最近ABEMAで『人生最大の危機世界の果てに、ひろゆき置いてきた』とうい番組を見ました。そこでは、一緒に旅をしてた俳優の東出昌大が、牛を買って、首根っこをナイフで一突きして、その牛をみんなで食べる、というシーンがありました。

他にも、鶏を取って、皮を剥いで食べる。とか、とか。。結構衝撃的な映像でした。もちろん、僕らが毎日たべている牛肉・鶏肉・豚肉は、そうやって「だれかが殺して剥いでキレイにしてくれたもの」なんですが、もちろん頭では理解していたのですが、たしかに殺して食べているんだということを認識し直しました。

かわいそう。そう思いました。当たり前ですが。。でも、そういう人たちがいて、僕らは生活ができている。だから、食べる前にその食べ物(もっとも、食べ物になる前は生き物)と、食べ物にしてくれた人に感謝したいなと思います。

じゃあ、僕たちは?僕の仕事は?とふと考えてみたのですが、。

生き物が生きていて、生き物を取ってきてくれる人がいて、その生き物を食べ物にしてくれる人がいて、その食べ物を運んでくれる人がいて、その食べ物を調理してくれる人がいて。と全部が繋がっている。

どんどん繋がってきたらそれが食材を店頭に並べるための営業マンがいたり、いろんな食べ物があると知らせてくれるマーケターがいたり。

じゃあ、僕たちはその営業マンだったりマーケターを助ける仕事をしているなぁと。そういう意識で仕事がしたいなと。僕らの仕事は目の前のお客さんの役に立っていて、それがどんどん繋がって、いろんな人の役に立っている。

んじゃないかなぁと、文字以上に心でなんとなくですがわかった気がします。

これが、エドとアルが課された「一は全、全は一」の意味なんじゃないかなと思います。「どこかでだれかの役に立っている」という感覚は人生を豊かにするし、人にやさしくできるし、自分に自信をくれる、そんな素晴らしい感覚ですね。